読んでおくといいよ。きっと、
世の中の、
どこに立つて居るのか、
どこに腰掛けて居るのか、
甚だ曖昧なので、
學生たちは困つて居る。
世の中のことは何も知らぬふりして無邪氣をよそほひ、
常に父兄たちに甘えて居ればいいのか。
又は、それこそ、「社會の一員」として、仔細らしい顏をし、
世間の大人の口吻を猿眞似して、大人の生活の要らざる手助けに努めるのがいいのか。
いづれにしても不自然で、くすぐつたく、落ちつかないのである。
諸君は、子供でも無ければ、大人でも無い。
男でも無ければ、女でも無い。
埃つぽい制服に身を固めた「學生」といふ全然特殊の人間である。
それはまるで、
かの半人半獸の山野の神、
上半身は人間に近く、
脚はふさふさ毛の生えた山羊の脚、
小さい尻尾をくるりと卷き、
頭には短い山羊の角を生して居るパン、
いやいや、パンは牧羊神として人々にも親しまれまた音樂の天才であり笛がうまいし、
葦笛を發明するほどの怜悧明朗の神であるが、
學生諸君の中には、此のパンと殆んど同一の姿をして居ながら、
暗い醜怪の心のサチイル、即ち憂鬱淫酒の王デイオニソスの寵兒さへ存在するのだ。
我が身が濁つて低迷し、やりきれない思ひの宵も、きつと在る。
諸君は一體、どこに座つて居るのか、何をみつめて居るのか。
先日、或る學生に次のやうなシルレルの物語詩を語つて聞かせたところ、
意外なほどに、其の學生は喜んだ。
諸君は、今こそ、シルレルを讀まなければなるまい。
素朴の叡智が、どれほど強力に諸君の進路を指定してくれるものであるかを知るであらう。
「受け取れよ、世界を!」ゼウスは天上から人間に呼びかけた。
「受け取れよ、世界を!」ゼウスは天上から人間に呼びかけた。
「受け取れ、これはお前たちのものだ。お前たちにおれは之を遺産とし、永遠の領地として贈つてやる。さあ、仲好く分け合ふのだ。」
忽ち先を爭つて、手のある限りの者は四方八方から走り集つた。
農民は、原野に繩を張りらし、
貴公子は、狩獵のための森林を占領し、
商人は物貨を集めて倉庫に滿し、
長老は貴重な古い葡萄酒を漁り、
市長は市街に城壁をらし、
王者は山上に大國旗を打ち樹てた。
それぞれ分割が、殘る隈なくすんだあとで、詩人がのつそりやつて來た。
彼は、遙か遠方からやつて來た。
ああ、その時は、地球の表面に存在するもの悉くに、其の持主の名札が貼られ、一坪の青草原さへ殘つてなかつた。
「ええ情ない! なんで私一人だけがみんなから、かまつて貰へないのだ。
この私が、あなたの一番忠實な息子が?」と大聲に苦情を叫びながら、彼はゼウスの玉座の前に身を投げた。
「勝手に夢の國でぐづぐづして居て、」と神はさへぎつた。
「何もおれを怨むわけが無い。
お前は一體どこに居たのだ。みんなが地球を分け合つて居るとき。」
詩人は泣きながらそれに答へて、
「私は、あなたのお傍に。目はあなたの顏にそそがれて、耳は天上の音樂に聞きほれて居ました。この心をお許し下さい。あなたの光に陶然と醉つて、地上のことを忘れて居たのを!」
「どうすればいい?」とゼウスは言つた。
「地球はみんな呉れてしまつた。秋も、狩獵も、市場も、もうおれの物でない。
お前がこの天上におれと一緒に居たいなら、時々やつて來い。此所はお前の爲に空けて置く!」
詩は、それでおしまひであるが、
詩は、それでおしまひであるが、
此の詩人の幸福こそ、また學生諸君の特權でもあるのだ。
これを自覺し、いぢけず、颯爽と生きなければならぬ。
實生活に於ける、つまらぬ位置や、けちくさい資格など、一時、潔く抛棄してみるがよい。
諸君の位置は、天上に於て發見される。
雲が、諸君の友人だ。
無責任に大げさな、甘い觀念論で、諸君を騙さうとして居るのでは無い。
無責任に大げさな、甘い觀念論で、諸君を騙さうとして居るのでは無い。
これは、最も聰明な、實情に即してさへゐる道である。
世の中に於ける位置は、諸君が學校を卒業すれば、いやでもそれは與へられる。
いまは、世間の人の眞似をするな。
美しいものの存在を信じ、それを見つめて街を歩け。
最上級の美しいものを想像しろ。それは在るのだ。
學生の期間にだけ、それは在るのだ。
もつと、具體的に言ひ度いが、今日は何だか腹立たしい。
君たちは何をまごまごして居るのか、どんと背中をどやしつけてやり度い思ひだ。
頭の惡い奴は、仕樣がない。チエホフを、澤山讀んでみなさい。
さうしてそれを眞似して見なさい。私は無責任なことは言つて居ない。
それだけでもまづやつてみなさい。
少しは、私の言ふこともわかるやうになるかもしれない。
失禮なことばかり言ひました。
失禮なことばかり言ひました。
けれども、こんな亂暴な言ひ方でもしないことには、諸君は常にいい加減に聞き流すことに馴れて居る。諸君の罪だけではないけれども。
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